カランク・ダン・ヴォー Calanque d'En-Vau (2010年)
1997年、私はたまたまジネスト峠を通って、峠道の荒涼とした独特の景色に強い印象を受けた。その景色を作っている灰白色の岩塊は、やがて地中海にぶつかり、美しいカランクをいくつも作っているらしい。カランク calanque とは、マルセイユ−カシ間の白い岩塊の断崖にできた亀裂のような入江を指すフランス語である。このカランクの中には、百メートルほどの岩が、海にほぼ垂直に切れ落ちているところもあるらしく、そうした名所を訪ねる遊覧船が、カシやマルセイユから出ていることは、以前より知っていた。しかし、陸側からも行けること、しかもいくつものコースがあることを知ったのは、後になってからのことだった。峠の風景に魅せられた私は、できればもう一度、こんどは峠から海まで行ってみたいと思い続けた。その思いは、偶然 BS で、ガストン・レビュファ(<エギーユ・デュ・ミディ>のページ参照)の映画『星と嵐』を見て、いっそう強くなった。レビュファは、マルセイユの生まれで、この辺りのカランクで岩登りを始め、そこから本格的なアルプスのロッククライミングへと進んだのだった。それを物語る映画には、真っ青な地中海と白いカランク、ロウソクのように屹立した岩、そしてそれを軽々と登る彼のロッククライミングが映されており、強烈なフェロモンのように私をここへ誘っていた。かくして、2010年、私は再びここに来たのだった。
ハイキングコースに入ると、しばらくは比較的平坦な道が続くが、海に近付くにつれて急坂となり、岩と岩に挟まれた隘路に変わってゆく。
この辺りから急坂になる。岩山の向こうは海。
道の脇には、このような絶壁がいくつも現れる。そして、最後に海に出る。
ハイキングコースはいくつもあって、別のカランクやカランクの上(断崖の上)に通ずる道もある(グーグルアースで見る限り)。しかし、詳しいガイドブック(それがあるのかも知らない)を入手できなかった私は、どの道がどこに通ずるのか分からなかった。ここには日本のように親切な標識はない。道があるだけである。そこで、やみくもに何回か脇道にそれ、岩塊の上に出られないか試したが、どれも上ってみると、さらに起伏をいくつも越えねばならず、最後まで極めるには手持ちの時間では足りないと分かって、引き返した。あるときには、脇道の終点がミツバチの箱であるときもあった。養蜂家があちこちに箱を置いており、その往復のために自然にできた道だったのである。こうして、何度か枝道にわけ入りつつも、結局断念してメインコースに戻り、カランク・ダン・ヴォーに至った。冒頭の深い入り江がそれである。
枝道の一つ
できることなら、断崖からコバルトブルーの海をを見下ろし、また同じ高みから遥かに続く地中海を一望のもとに眺めたかった。その夢は叶わなかったが、そのために、まったく人気のない岩だらけの道なき道をさまよったことは、しばらくのあいだ原初の自然と一体になったような気分で、そのことに満足を覚えていた。
帰途、カシの方向にカナイユ岬が見えた。これから急いで車に戻り、あそこに行く。