この日、シャモニのロープウェイの駅から、まずエギーユ・デュ・ミディに上り、まじかにモンブランを見たあと、シャモニにそのまま下りず、途中駅から、山づたいに大氷河(メール・ドゥ・グラス)までハイキングすることにした。
山の天気はわずかな時間に次々変わり、一時は雲の中に入った。
山道には、小さな岩の多いところ、大きな岩がごろごろしているところ、大きな岩盤の上に乗っている感じのところ、といろいろあり、さらに、氷河近くでは、板のような岩石(スレート)が積み上がっている道(モレーン)となった。
終点を目前に、道は左右二つに分かれていた。急な上り坂と登山駅へのなだらかな下り道とに。ふと、登山駅にまっすぐ行こうか、という誘惑にかられたが、高みから眺められる雄大な景色を期待して、息を切らしながら、岩だらけの急坂を登った。
それは、すごい眺めだった。これまでの経験から引き出される想定などはるかに越えた言葉を失うような眺めだった。期待も想像も小さかったのである。
この景色を見るためだけに旅行を計画したとしても、少しの後悔もない、そういう眺めだった。(写真では写せない・・・)
ここが大氷河の上。
大氷河へと絶壁のように下る断崖手前の大きな岩に腰を下ろして、私たちは、残った最後の水を飲み、ただ景色に見入った。
少し陽が傾きかけていた。山の影が長く伸びていることからもそれが分かる。高い峰峰、ことにグランド・ジョラスは、傾いた陽光を一杯に浴びて、わずかにばら色を帯び、嘆息するほど美しい姿を見せていた。(グランド・ジョラスの頁に写真)
それが大ハプニングへのプロローグになろうとは、思ってもみなかった。
モレーンを下って鉄道駅へ
おそらく、時計は6時をだいぶ回っていたのではないかと思う。しかし、夏のヨーロッパは10時近くまで明るい。そのせいか、遅い時刻という意識がすっかり狂っていた。しかも、真夏の有名な観光地の登山鉄道なのだから・・・私は勝手に自分の日本的「常識」で判断して、こんなに早くダイヤが終了するはずはない、と思っていた。しかし、そうではなかったのである。
メール・ドゥ・グラスの鉄道駅に向かって斜面を降りていたとき、眼下に見える駅から、シャモニ行きの電車が出発しようとしていた。にぎやかに話をしていた一団の人人が、つぎつぎに車内に消え、人だかりが小さくなるとともに、聞こえてくる音はどんどん小さくなっていった。そして、電車が去ると、大氷河は、恐ろしいほどの静寂に包まれた。最終電車だったのである。
眼下のその光景を見、情況の急な変化を感じて、私たちは慌てた。しかし、時は既に遅きに失していた。もはや、山に取り残されるか、自力で下りるか、結局、選択肢はなくなっていたのである。
それでも、まだ幸運は残っているかもしれない。駅のとなりのカフェは、ホテルのような構えだ。おそらく、かつては人を泊めていたのであろう。もしかするとここに泊まれるかもしれない。昨日からシャモニのホテルには連泊の手続きを取っていたが、並みの体力では容易に下ることはできないと考えていた私たちは、わずかな望みを抱いてここに泊まりたいと思い、建物の中に入った。しかし、大きなホールはがらーんとして、奥に青年がただ一人いるだけだった。夜の管理を委ねられている臨時雇いのようだった。もはや尋ねてもこの様子では答えは分かっていたが、それでも念のためにきいてみると、彼は、案の定、宿泊はできないと断ったが、言葉を継いで、心配することはない、ここからちゃんと歩いて帰れるよ、と、さほど気の毒な様子も見せずに応えた。私は、その調子に、励ましを得、大丈夫,、なんとかなる、と妙な楽観と安心感を持った。そして、水をもらって、カフェを後にし、妻と娘にその言葉を伝えた。実際、下山口のところには、持参の缶ビールを何本か開けている3人の大柄な山男たちがいた。彼らは、今日の山行を終えて、これから帰ろうとしているのだ。山男たちは、私たちが出発しただいぶ後から出発して、あっという間に追い越し、見えなくなった。
われわれの下山は、もちろん、そういうわけには行かなかった。すでに、メール・ドゥ・グラスに着くまでに体力のほとんどを使い尽くしていた。娘は、途中でとうとう動けなくなり、仕方なく背負って下山を始めると、こんどは私の足の方が細かく痙攣し始め、ついにはつった状態となっていくども休まざるを得なくなった。陽は容赦なく落ち、疲労困憊の果てにようやくふもとに着いたときには、既に真っ暗になっていた。あまりの疲労に、娘は空腹のはずだったが、食べ物も受け付けなかった。しかし、ともかく、なんとか降りられたのである。
苦い体験だった。自分の不注意が心底情けなかった。しかし、この苦い体験は、一年も過ぎるとすばらしい思い出に変わる。日に日に大きくなって幼い頃の記憶が絶え間なく消滅してゆく娘にとっても、わたしたちにとっても、この失敗のおかげで、「この時」のわれわれが、たぶん、グランドジョラスの素晴らしい夕映えと共に、生涯、不滅の記憶となって残るだろうと思う。