アンヌシーといえば、すぐジャン・ジャック・ルソーが思い浮かぶ人は、そうとうのフランス通だろう。ジュネーブの親方のところから逃げ出したルソーは、16歳のときにこの町にたどり着き、彼の生涯に決定的な影響を与えるヴァランス夫人と出会っている。しかし、それは18世紀のことである。この町に来て旧市街を歩くと、それよりはるか以前の、中世の建物があちこちに点在しているのを見、そこに堆積した歴史を想わずにはいられない。ここは、サボワ家の庶流ジュヌボワ公爵家の城下町だった。宗教戦争の時代には、ジュネーヴがカルヴァン派に支配されたため、司教座がこの町に移されている。
1997年のアンヌシー(上)と1974年のアンヌシー(下)
私は、いまからもう四半世紀前の1974年、アンヌシーに来たことがある。その当時から、有名な観光地であったが、町には古い歴史の垢がそのままついている印象で、スイスやドイツの観光地のような、細部まで磨き上げられた見栄えのよい歴史の街という感じはなかった。私は、その少しひなびた自然なたたずまいに、非常な魅力を感じ、アンヌシーはフランスで最も好きな町となった。こんどの旅行でも、ぜひ妻と娘を連れて来たいと考えたのだった。
しかし、25年の歳月は、町というよりも、おそらく人々の生活を変えていた。少々薄汚れた人間の営みをそのまま感じさせる部分が払拭され、街並みはどこも美しく変わっていた。カフェやレストランは大変繁盛し、通りには一目でわかるたくさんの観光客が溢れ、都会のような雰囲気になっていた。自分も含め、人々の生活が豊かになった証拠だと思う。あらためて、時の流れにある限り、同じ景色には二度と会えない、ということを思い知らされた。
1974年のアンヌシー。その当時、ここには、美しい山と湖と共に少しくたびれた古い街並みがあって、それが何とも言えない魅力だった。
1997年の旧市街。建物のペンキはカラフルに塗りなおされ、リゾートにふさわしい清潔で綺麗な町になっていた。
アンヌシー湖 (1997年)
上の写真は湖の東岸の山並。湖に出れば、東西南北360度すべて山である
アンヌシーの街の方から撮った一枚。芝生の向こうに湖があり、湖の向こうに山がある。そしてこの山の向こうには、さらに3000m級のアルプスの山々がある。
アンヌシーと聞けば、絵が好きな人は、セザンヌがこの湖畔にキャンバスを立てて対岸の修道院を描いた名作を思い浮かべるかもしれない。大の旅行好きであった妻に対して、大の旅行嫌いだったセザンヌは、パリ周辺やエクス周辺など、決まった場所以外ではほとんど絵を描いていない。その意味で大変珍しい一枚である。
セザンヌの 『アンヌシー湖畔』