サント・マリー・ドゥ・ラ・メールの港。漁船とレジャーボートやヨットが混在している。 (2010年)

 聖マリアは何人いるのか、私の知っているのは5人であるが、おそらく他にもいるだろう。そのうち、キリストの磔刑に立ち会ったとされるマリアが、聖母マリアとマグダラのマリアのほかに、まだ二人いるのだそうで、聖母マリアの妹とされるマリア・サロメ、よくわからないがやはり血縁らしいマリア・ヤコベであるという。この4人のうち、聖母マリアを除く3人が、舟でローヌ河口のこの地に流れ着いた、そこで、ここを「サント・マリー・ドゥ・ラ・メール(「海の聖マリアたち」、あるいは「海から来た聖マリアたち」・・・フランス語では複数のsは発音されないため単数も複数も「サント・マリー」で、区別がつかない)と名付けたのだそうである。この由来から、町の教会は聖マリアたちの祭で広く知られていて、祭日には遠方からも多くの信者、観光客がやって来るらしい。また、カマルグ観光の拠点ともなっている。

 港の脇は砂浜になっていて、地中海の穏やかな波が打ち寄せていた。

 1888年2月、パリの、弟テオのアパルトマンを出て、南仏アルルで新生活を始めたゴッホは、5月末さらに南へ小旅行に出発し、ここサント・マリー・ドゥ・ラ・メールにやって来た。明るい陽光のみなぎる青い海、海を糧につつましい暮らしをする漁師、そして彼らの小漁船、この地に感動したゴッホは、海とボートをモチーフに数枚の油絵を制作している。それは、アルルにゴーガンを呼び寄せて共同生活を始める5ケ月前のことで、南仏の強い光に感動し、新しい生活のスタートに意気高く、強い色彩の新しい絵に情熱を燃やしていた、もしかするとゴッホの最も幸せな時期だったのかもしれない。半年後には、夢に見た「画家の共同生活」が破綻する。共に支え合い高め合いながら新しい絵画を創出する、という子供の夢のように純真無垢なユートピアは、ゴーガンと自分という強烈な個性の衝突する現実の前で、想像とは逆の、文字どおり地獄を生みだした。「炎の人」の純真無垢とは、言葉を変えれば、スーパーエゴイスムということである。同じスーパーエゴイスト・ゴーガンによれば、二人の好みは何から何まで逆で、ゴーガンの良しとするものはゴッホは嫌いで、嫌いなものは好きだった、という。こうして苛立ちと反撥と不可能な自己抑圧から、ついには精神に異常をきたし、この年の末(12月23日)には、かの片耳を切り落とす事件を起こすのである。