ジネスト峠から見るピュッジェ山 (1997年)
カシからマルセイユに抜けるためには、峠を越えねばならない。その峠は、ジネスト峠とある。327mと記されているから、さほど高い峠ではなく、地図で見る限り、平凡な何の特色もないところに見える。ところが、実際にその地に立ってみて、私の受けた印象では、別世界のような峠なのである。全体が巨大な白い岩盤の上に乗っているようなところで、長い間の風化によって、表面にわずかに土が作られ、堆積した感じである。その痩せた表土に、ローズマリーのような潅木や、いつまでも成長しない低いいばらのような潅木ばかりが生えている。道の脇には、ところどころ松が植林されていたが、天然の喬木は数えるほどしかない。これまで、特にスペインで、ほとんど砂漠のような荒野は飽きるほど見たが、こういう荒野は初めてだった。私は、この日、マルセイユで宿をとるつもりだったが、この景色が気に入って、峠の上にただ一軒あった少々うらさびたホテルに泊まった。客は、私たちただ一組だった。陽が落ちると、時折車が通るだけで、まったく人の気配がなくなり、真っ暗闇で、ものすごく寂しい。それも、また、得がたい経験だった。
それから13年後の2010年、私は再びこの地を訪れた。記憶をたどって峠の近辺を探したが、ホテルは跡形もなく消えていた。もうどこに建っていたのかもわからなかった。
翌朝、この荒野に入って、一番近いなだらかな丘の上まで歩いた。硬い棘のある草がたくさんあって、不用意に分け入ってゆくと痛い思いをする。足元は、すべて岩が風化してできた白い角のある小石で、その砂利の堆積の上に草や木が生えている。遠くを望むと緑の絨毯のようだが、実はすかすかの緑で、近くから見下ろせば常に白い地面が見えている。
ジネスト峠からマルセイユに出るとき、坂が急になってつづら折りとなると、まもなく山が途切れ、素晴らしい眺望が現れる。眼下に姿を見せたのはマルセイユと真っ青な地中海だった。マルセイユの目前の海には、かつて監獄島として使われていたモンテ・クリスト伯で有名なイフ島が浮かんでいる。