アヴィニョンの教皇庁宮殿正面 (2010年)

 アヴィニョンの歴史を読むと、アヴィニョンの住民のアイデンティティはフランスにあるのだろうか、と、ここに代々住む人にちょっと聞きたくなる。ローマ帝国の時代からフランス革命まで、その歴史は日本史のスケールからはとても考えられない民族や宗教やその他諸々が錯綜したもので、とても数行にはまとまらない。アヴィニョンを前にすると、ナショナリズムなどというものは、完全に近代のフィクションだと納得される。二千年のスパンでみれば、ここでは国家の区切りなど、つかの間のものにすぎない。

 

 1309年から1377年まで、アヴィニョンには教皇庁が置かれていた。教会権力の頂点に君臨していたわけだから、内部はすばらしい芸術で埋め尽くされていた、と思うが、火災にあって、今はむき出しの壁があるばかりである。もし現存していれば、アヴィニョンの文化的価値は倍加していたろう。上の写真は「アヴィニョンの橋」サン・ベネゼ橋から教皇庁を見たもの、下は、教皇庁の庭園の端からサン・ベネゼ橋を見下ろしたものである。