ラ・ロシェル (2005年)
ラ・ロシェルは、ハンザ同盟都市やオランダ諸都市と盛んに交易した中世からの重要な港町である。この都市は、二度、イギリス領となったことがある。一度は、アキテーヌ公領の女性相続人アリエノールがプランタジュネ家のアンリと再婚し、アンリがイギリス国王となった時(1254年)。もう一度は、百年戦争で旗色の悪かったフランスが、イギリスとプレティニー条約を締結した時(1360年)である。この条約が結ばれた時は、イギリスに反感を抱く市民がまもなく反英闘争を起こし、12年後、結局ラ・ロシェルは再びフランス国王の元に戻っている。百年戦争で負けてばかりいた王にとって、実に愉快な出来事だったろう。
ところが、16世紀から17世紀、ラ・ロシェルは国王軍による徹底した弾圧を受ける。この町がプロテスタントの拠点となっていたからだった。活発な商人の町なのであるから、商取引による金儲けを善とするプロテスタントに多くの市民が帰依するのは自然であろう。一方、王権神授説によってカトリックと一体である国王が、プロテスタントを弾圧するのも必然であろう。1627年、ラ・ロシェルは強力な国王軍に包囲された。市民は十ヶ月間籠城して戦うが、ついにはリシュリュー(ルイ14世の宰相)の軍門に下ることを余儀なくされる。その時、市の人口は1万8千から5千に激減していたことが記録されている。まれにみる悲惨な籠城戦だったわけである。宗教が絡むと、今も昔も、戦いの死亡率はぐんと高くなるようである。
中央にかつての城門の一つが見える
旧港には多くのヨットが浮かぶ。歴史のあるリゾートの町となっている。
城門の内部には、古い町並みがずっと続いている
夕暮れのラ・ロシェル。この通りはレストラン街で、おいしいものが食べたいならここ、と宿の主人が教えてくれた。