トゥールーズは古い町である。その歴史は、紀元前2世紀以前に作られたケルト人の町にさかのぼり、同2世紀末からは、ローマの属州都市トロサとなっている。
一方、トゥールーズは最先端の町でもある。エアバスの本社、最終組立工場はここにある。また、アリアンロケットで知られる欧州宇宙機構の中核をなすフランス宇宙センターもここにある。
トゥールーズの中心、市庁舎前広場 (2005年)
市庁舎前広場に通ずる街路。この狭い通りから広場に抜けると、空間が一挙に広がり、ちょっとした感動が味わえる。
トゥールーズは宗教的にも重要な町である。4世紀には司教座が、14世紀には大司教座がおかれている。また、ここは、中世において、サンティアゴ・デ・コンポステラを目指す巡礼たちが足を止め、しばしの休息と祈りをささげた最も重要な中継地の一つでもあった。言うまでもなく、キリスト教徒の憧れる巡礼地は、順に、エルサレム、ローマ、サンティアゴ・デ・コンポステラだが、エルサレムはあまりに遠く、ローマは途中に巡礼たちを受け入れる施設に乏しかったばかりでなく、イタリアは戦争が絶えず物騒だった。それに対して、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラは、辺境だが何とかたどり着ける距離にあったことと、比較的安全で、巡礼路にほどよい間隔で宿泊可能な教会や修道院があったことが幸いして、中世、フランスを中心に大変多くの巡礼者を集めた。時代が下るとともに増大する巡礼者は、宿泊所や巡礼路の整備を促し、商品経済も刺激した。巡礼の流行は、徐々に西欧が平和になっていったことを意味すると同時に、農業生産性が向上し、それにつれて商品経済も安定的発展が可能になったことを意味している。
巡礼の目的はなんだろう。苦悩を背負った者や病に苦しむ者が、神の救済を求めて旅立ったのか、もちろんそういうこともあっただろう。しかし、多くは、日本のお伊勢参りと同様、農民・町人が、信仰を大義名分にして、生涯でただ一度、広い世界を見る機会として利用したのではないかと推測される。旅は好奇心を満たすと同時に、異質なものとぶつかることで人を鍛え、それが自分や自分の故郷を見つめ直す機会となり、結果として複眼的な視点を獲得することで人を大きくする。信仰ばかりでなく、また世界の大きさや違った世界を見る興味ばかりでなく、そこに人々は価値を認めていたのだろう。
サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路には、ピレネーの山脈越えまで、大きく分けて4つのルートがある。その南ルートの拠点となっていたがトゥールーズのサン・セルナン大聖堂であった。サン・セルナンは、それまで写真で見ていたものより、ずっと美しい教会だった。赤い石壁の色がかもし出す特別な印象は、実物を前にしないとちょっと分からない。石塊の一つ一つの色が、微妙に違っており、独特のハーモニーを奏でている。写真では、単音にしか聞こえないが……。
下は、教会の正面入り口の上の素朴な彫刻。魔よけとしての恐ろしさは感じさせず、むしろ癒されるような感じである。
サン・セルナン教会に至る道の一つ。
町の中心を流れるガロンヌ川の夜景。
13〜17世紀に建立されたサンテチエンヌ教会