タルヌ峡谷 (1997年)

 バルザックの有名な小説に「谷間のゆり」というのがある。大変乱暴に要約すれば、肉体的にも精神的にも豊かな人妻が、ある青年貴族の熱烈な情熱の対象となり、やがて互いに深い愛情を抱くが、夫人はあくまで純潔な関係を保とうとして彼を失い、言語に絶する苦悩を味わう、という物語である。この小説のタイトル、「谷(vallee)」に咲く一輪の「ゆり」(ゆりは聖母マリアの象徴、「清純」を意味する)が、主人公を象徴しているわけだが、フランスと日本とでは、「谷」の概念がかなり異なり、そのために題名が喚起する内容に大きな開きがある。バルザックのこの小説の舞台は、フランス中部を東西に流れるロワール川である。ロワールは、とうとうとゆったりと流れている。川は、なだらかなくぼみを作るが、女性的な柔らかな曲線で、断崖絶壁のようなものはない。それはセーヌの谷もローヌの谷もラインの谷もごく一部を除いては同様で、「谷」は、一般的には、なだらかな斜面と豊かなブドウ畑を連想させる。つまり、険しさ、ではなく、豊かさ優しさ、を連想させるのである。だから、題名「谷間のゆり」のイメージは、日本とフランスとではまったく違うだろう。日本の、峻厳な地に孤高に咲く可憐な一輪のゆりは、いわば天然自然に禁欲的で清純であるが、フランスではそういうことにはならない、むしろ反対だ、ということである。この小説の最も感動的な場面は、臨終の床で、夫人が、いかに彼と結ばれたかったか、狂おしいほど愛し嫉妬し、そして自らの倫理をどれほど疑ったか、錯乱した意識の中で訴える場面である。それは、意識が錯乱しているから表出した真実、となっていて、本当の彼女の言葉であって本当の彼女の言葉ではない、要するに夫人はあくまで清純、ということになるが、しかしここで、彼女の清純がどれほどの犠牲の上に立っていたか、まさにその命と交換であったということが、初めて彼に分かる。

 さて、こんな話を長々としたのは、フランスには、日本の谷のようなものは、アルプスやピレネーなどの山岳をのぞけば、ないのだろう、と私が思い込んでいたからである。しかし、そうではなかった。タルヌ川の谷は、木曽の谷に似ている。つまり、日本の谷みたいなのである。

 フランスではカヌーやカヤックが盛んである。オリンピックともなると、テレビでは連日放送される。

 ところどころの斜面には立派な石造りの家が張り付いている。いったい何で生計を立てているのだろう。この写真にも、中央に立派な家が見える。しかし、道路は見えない。そんなはずはあるまい、と思うが、この家に限らず、タルヌには一見アクセス不明の家がいくつもあった。どこかに道路が隠れているのだろうとは思うが。

 これも川向こうの村である。望遠で撮った。風景全体の中で見ると、よくぞこんなところに村を作ったものだ、という感じであった。