ミラボー橋のたもとにあるパリ日本文化会館 (2005年)

  六本木か品川にでもありそうなガラスを多用した現代建築である。伝統的な「古い歴史の日本」ではなく「現代の日本」を表わそうとしているのかもしれない。

 この日本文化会館に対して、凱旋門のほど近く、高級住宅街オッシュ通り Avenue Hoche には、日本大使館がある。(地図では、青い番号10)

 1974年の正月何日かのこと、日本大使館で前年大晦日の紅白歌合戦が上映されるというので、画家の友人たちに誘われて見に行ったことがある。今と違って情報の乏しい当時、このイベントは長期滞在の日本人にかなり人気があった。貧乏で娯楽の少なかった私も、タダだからつきあうか、というような気分で出かけた。年末恒例の陳腐な紅白歌合戦を、この時初めて、最初から最後までじっくりと見た。率直にいえば、演歌なんて、日本の流行歌なんて、と若い私はそれまで日本の歌をバカにし、紅白など見ることがなかった。しかし、このとき、1年間に日本で流行ったすべてのジャンルの歌を聴いて、こんなに面白くまた素晴らしいものだったのかと感動し、日本の歌を、ことに「演歌」を再評価した。それ以後、用事があるときを除き、大晦日の夜は毎年テレビの前にいる。普段歌謡番組を見ることはないから、私には紅白は新鮮である。個人的には、二十世紀末に比べて、メロディーは衰退しているように感じる。そんなふうに、一年に一度、比較するのも、またおもしろい。

 さて、話は日本大使館にもどるが、その時は、大使館の外観など特段気にもならず、あーこれが日本大使館か、いいところにあるな、と思っただけだった。しかし、2010年、前を通りかかってみると、周囲の建築に比して、あまりに美意識の欠如したみすぼらしい建物なのにがっかりした。それに比べれば、パリ日本文化会館は、ずっと建築家のセンスを感じる。でも欲を言えば、もっとオリジナルに日本的モダーンであればなー・・・。

  日本大使館 (2010年) 

 通りを歩いていたら、引っ越しの風景に出合った。パリではこうして、荷物は梯子車のようなもので窓から入れるらしい。なるほど、そうでなくてはエレベーターの付いていないアパルトマンも多いし、たとえ設備されていても狭小なので、難しかろうと思った。しかし、19世紀はどうしたのだろうか。これらの建物は百年以上前からあるはずだ。昔の人は大変だったな、と思う。