バルザックはパリで何度か住所を変えたが、最も長く住んだのはこの家だった。
レイヌアール通り Rue Raynouard から見下ろしたバルザック記念館 (2010年)
この辺りは傾斜地になっており、バルザック記念館への入口となるレイヌアール通りと記念館の裏手にあるベルトン通り Rue Berton との間には5,6階建て分くらいの段差がある。記念館はその段差の中間ぐらいの高さにあるテラスに建っているため、レイヌアール通りからは、専用の階段を下りてアクセスする。また裏手のベルトン通りには、家の中の階段を下って出る。レイヌアール通りから見ると平屋だが、ベルトン通りから見ると三階建て、ということになる。
ベルトン通りから見た記念館
バルザックが借金王だったことは、よく知られている。人生のスタートで事業に失敗して多額の借金を負い、作家となってからはパリの社交界でカッコイイ男でありたいと望んで借金を負い、結局、終生債権者から自由になることができなかった。ただし、そのおかげで『人間喜劇』のような大著作が生まれたことも事実である。そのバルザックが、この家で、玄関に債権者が現れると、裏口から遁走した、といわれている。なるほど、逃げるには実に都合のいい家である。
バルザックが執筆に使っていた机と椅子
記念館の庭。
記念館はパリ市の運営で、入場無料である。テラスの庭は空いていて眺めもいいため、近隣の人々に気晴らしや気分転換の場所として使われているようである。