パリ市庁舎 (2005年)

 2005年、私たちがパリを訪れたとき、エッフェル塔にも、国鉄駅にも、目立つところには、たいてい、写真のようなオリンピックマークをつけた<Paris 2012>のロゴが掲げられていた。ちょうどその頃、パリは、オリンピック招致活動のピークをむかえており、視察団が来訪して、競技施設を見て回っていた。大変な熱の入れようで、コンコルド広場を歩いていたとき、偶然、彼らの通る車を目撃したが、黒塗りの高級車で車列を組み、白バイに先導されて、完全に国賓なみの扱いだった。 

 その翌日か翌々日か、ノートルダム寺院からポンピドゥー・センターに行くために、市庁舎の前を通ったら、上のような様子だった。多分、市庁舎前広場で、視察団の歓迎式典のようなものが催されたのだろう。役目の終わったステージを、数人の労働者が解体撤去している最中だった。その光景は、なんとなく、祭りの後の夜店の後片付けを連想させた。

 それから数ヵ月後、パリはロンドンに破れた。帰国後、わが家の食卓では、「あんなに頑張っていたのにねー」と、パリのあちこちの様子を思い出しながら、パリっ子に同情した。

 2010年の常と変らぬ落ち着きを取り戻したパリ市庁舎