ノートルダム寺院 (2005年)
「ノートルダム」と名のつく教会は、パリにいくつもある。私の記憶にあるものでは、ノートルダム・デ・シャン、ノートルダム・ドゥ・ラ・ロレット、ノートルダム・ドゥ・ボンクール、などだが、フランス中だと、おそらく3桁くらいあるのではないだろうか。そのため、シテ島の大伽藍は、他のノートルダムと区別するため、正しくは「ノートルダム・ドゥ・パリ」という。しかし、やはり、われわれにとって、ノートルダムといえば、このノートルダムに決まっているから、いちいち「ドゥ・パリ」をつけて言うのは面倒だ。
なぜ、よくある名かといえば、ノートルダムとは聖母マリアのことだからである。「ノートル」は「私たちの」、「ダム」は「夫人」、を意味する。ちなみに「私の・夫人」だと「マ・ダム」となる。聖母マリアは「私たちの夫人」なのである。
キリスト教は、ユダヤ教から派生した同一の神をあがめる一神教のはずだが、ユダヤ教が厳格に一つの神にこだわって、祈りの場所には聖典しか置かないのに対し、キリスト教は、神を差し置くくらい聖人に満ちている。これで一神教といえるのか、と、論理的整合性を考えると疑いを覚えるが、結局、日本でもヨーロッパでも、多くの人間にとって、祈りは、そういうことより、もっと本能的で利己的なものなのかもしれない。
聖母マリアは、日本に置き換えるなら、観音様みたいなものである。中世以来、最も庶民の信仰の対象となり、いわばイエス以上に人気がある。神様を生んだ人間だから、神様より人間のことがよく分かっているだろう、一方、イエスのお母さんだし、神様にうんと近いから、私の、小さな、でも重大な願い事を聞いてくれて、叶えてくれる力も強いはずだ、と民衆は考えるのかもしれない。巡礼を集める教会の、日本でいえば、本尊とか寺宝にあたる偶像には、ナントカのマリア、というのが実に多い。
ノートルダムには正面に3つの扉がある。それぞれの扉の周りを囲む彫刻群を見るのも楽しい。これは中央扉。
扉の上の天使たち
鐘楼に登れば、魔よけの怪物がパリを見下ろしている。
右上に見えるドームはアカデミー・フランセーズ(フランス学士院)
屋根の上にも、ブロンズ製の聖人たちがいる
中央に見えるドームはパンテオン
ノートルダムは後ろからの姿もとりわけ美しい
現在のノートルダム寺院の建設は、1160年頃に始まり、1182年に大まかなところが完成、献堂式が挙行された。しかし、すべて完成するまでには約百年かかっている。