中央左がサント・シャペル、その右は破毀院 (2005年)

 裁判所のことを「パレ・ドゥ・ジュスティス」(英語に直訳するとPalace of Justice)という。フランス語をほとんど知らずにパリにやって来た頃、日本学生連合のパリ支部(かつてそういう組織があった。サン・ミッシェルにオフィスを持ち、学生用のフライトをチャーターして安く座席を販売したり、国際学生証を発行したりする業務も行っていた。私は渡仏も帰国も、そのフライトを利用した)でただで入手したパリの地図を見ながら、「正義の宮殿かー、すごい名だな」と思い、この近くの市庁舎の前では、「オテル・ドゥ・ヴィル」(Hotel of City)と書かれているを見て、「えー、これホテルなのかー、すごい建物だな」と感心した。その類のことは、まだまだたくさんあるが、恥ずかしいからやめておこう。

 破毀院は、日本でいえば最高裁に当たる。フランスの裁判制度は複雑で、厳密には、日本の最高裁とフランスの破毀院とは性格を少々異にするようだが(もう少し詳しく知りたい人は、同じHPの<フランス>の項参照)、ともかく裁判所の頂点に立つ裁判所なのである。史上最も美しいステンドグラスといわれる聖ルイ王の礼拝堂、サント・シャペルは、この建物の中庭にある。そのせいで、観光客が常時裁判所に出入りし、いいことか悪いことか判断が難しいが、三宅坂(最高裁)のような、あの独特な厳粛でいかめしい雰囲気を全然持たない。

 このようなことになったのは、かつて(13世紀)ここが王宮で、それを後に裁判所にしたからである。コンシエルジュリーもまた同様で、王宮の北側に当たった。しかし中世の王宮の痕跡は、幾度も火災に遭ったために、どちらにもほとんど残されていない。コンシエルジュリーは、今はむしろフランス革命の記憶によってよく広く知られている。マリー・アントワネット、ダントン、ロベスピエールが、断頭台に上るまでの最後の時を過ごしたのはここだった。このかつての牢獄は、一部当時そのままに残され、一般開放されている。

 下流側から見るコンシエルジュリー (1997年)

 上流側から見るコンシエルジュリー。手前の建物は、商事裁判所。 (2005年)