パリ市近代美術館/パレ・ドゥ・トーキョー(東京宮)現代美術サイト (2005年)

 なぜこの美術館に「トーキョー」の名が付いているのか、手許の資料を片っぱしから当たったがわからず、数年来小さな謎としてずっと気になっていた。しかし、先日、フランスのWikipediaにこの項目ができているのを発見し、ようやく謎が解けた。

 現在、この美術館が面している「ニューヨーク通り Avenue de New York 」は、1918年から1945年まで、つまり日本が第1次大戦に参戦してフランスとともに戦勝国となった時から第2次大戦でフランスと敵対し敗戦国となるまで、「東京通り Avenue de Tokyo 」という名前であった、というのである。そして、戦争の匂いが少しずつたちこめ始める1937年、「万博の時代」の掉尾を飾るパリ万国博覧会が開かれ、ここに作られた華麗な建築に「東京宮」の名が冠せられる。誤解してはいけないが、それは日本政府が建てた日本館ではない。フランス政府の建てた万博のモニュメントなのである。ただ建物の前の通りから「パレ・ドゥ・トーキョー(東京宮)」と命名された、ということなのである。

 対岸には、パリのシンボル・エッフェル塔が見える。セーヌがこのあたりで南にゆるやかに蛇行するため、絶妙な角度で眺められる。何とも素晴らしい場所である。だから、この通り、昔は「ニューヨーク」じゃなくて「トーキョウ」だったんだよ、という事実は、ちょっと誇らしいやら情けないやら口惜しいやら。ともあれ、「トーキョウ」はその後<敵国の首都>となったのだから、たとえ通り名が変えられても、美術館に名前を残してもらったことだけで感謝しなくてはならないだろう。

 現在、美術館は二つに分けられている。写真の右側(東翼)はパリ市のもので「パリ市近代美術館 Musee d'Art moderne de la ville de Paris」(プチ・パレ別館)、左側(西翼)は政府に所属する「パレ・ドゥ・トーキョー・現代美術サイト Palais de Tokyo, Site de la creation contemporaine」である。

 先日、パリ市美術館の方から、ピカソなど数点の絵が盗難に遭い、大騒ぎになった。(2010年) この数点だけで、一説によれば被害額50億円にもなるとのことで、ガードの甘さが指摘された。そのニュースを聞いて、私には思い当たる節があった。日本人から見ると、なぜだ! と、信じがたい気持になるが、パレ・ドゥ・トーキョーの側面の壁には、でかでかと例の陳腐な踊り文字の落書きが書かれ、2005年の時点で処置がなされていなかった。書く人間は大バカ者のアンポンタンに決まっているが、放置しておくパリ市も信じられない。私は、盗難のニュースを聞いてすぐに落書きを思い出した。少なくとも、ルーヴルやオルセーに落書きはない。これほどの美術館が、パリでは軽ろんじられ、なおざりにされているのである。ここにはマチス、ピカソ、ヴラマンク、ドゥロネー等の重要作品に加え、20世紀初頭の、もう少し知名度は低いが世界的な画家たちの代表作や、またことにラウフ・デュフィーの、壁面すべてを覆う畢生の大作ともいえる『電気の精 La Fee electricite』もある。東京の美術館が束になっても敵わないすごい美術館なのに、と、ため息が出るばかりである。

 さて、この建物もパリ万博の遺産であることはすでに述べたが、一見してプチ・パレやグラン・パレとはだいぶ雰囲気が違う。アールデコの匂いを残し、簡素ながら壮麗な、ナチスの建物と相通ずるところのある暗い時代の建築である。私はとても美しいデザインだと思う。設計はコンペによって決められたそうで、一位となったのは、4人の建築家による共同案だった。かのル・コルビュジエも参加したそうだが、落選したとある。

 橋の上から撮影 (2005年)