パリのオペラ座は、私がヨーロッパで目にしたオペラ座の中では、最も洗練された美しい建物だと思う。屋根や柱を飾る彫刻も一級の芸術品であるが、これを設計した建築家ガルニエも、オルセー美術館入りしている。(設計図や模型が展示されている)
内部もすばらしい。ルーヴルやヴェルサイユのそれをしのぐ華麗な正面階段を上って劇場内に入り、正面の舞台を見た後、目をそのまま頭上に移せば、そこにはシャガールの大天井壁画がある。
30数年前、パリにしばらく住んでいたとき、帰国前に、ここで、ぜひ本場のオペラかバレーを見ておきたいと思った。貧乏人には、一階の平土間や2階3階のロージュ席はとても買えないが、天井桟敷(立ち見)なら、学生であるかぎり破格に安い値段で買うことができた。おそらく、今の値で千円くらいであったろうと思う。しかし、ずぼらな私は、1月前2月前に予約を入れなければならないことが面倒で、そのうちと思っているうちに、ついにフランスを後にした。一期一会という言葉があるが、その時逃したチャンスは永遠にめぐってこない。いまなら20倍30倍の金を払って見ることもできようが、時は二度と埋め合わせることはできない。
さて、下の二枚のオペラ座の写真を比較していただきたい。上が97年、下が2005年に撮影したものである。撮影場所に関しては、通りの向こうとこちら、という違いがあるが、それは撮影角度の相違となるだけである。一見してすぐ気づくのは、おそらく修復のために外されていた彫刻が、いつのまにか屋上の左右に載せられたことである。だが、もう一つ、壁面が全然違うことがお分りだろうか。(97年の写真は全体に青っぽくて、若干分かりづらいが・・・)
オペラ座正面
パリ市内の建物は、法律によって、定期的に外壁をクリーンアップしなければならない。細かな砂や水を吹き付けて、表面の黒ずみを何十年かに一度除去するのである。大変な費用のかかる工事であるが、パリに不動産を所有する以上義務であり、多くの場合、マンションの補修積立金のように、長期にわたって費用を貯蓄してている。街を美しく保つこと、その努力を怠らないこと、その結果、多くの人々が街の美しさに誇りを持ち、また自らもその美を愉しんで気持ちよく暮らせること、これは西欧の古都、とりわけパリに浸透した文化である。ちなみに、パリでは、洗濯物を干している光景に出会うことがない。そもそもベランダは美意識に基づいて建物のアクセントとして作られるのであって、物を干したりする場ではない。暮らしにくい街、と思うだろうか。私は1年余りパリにいて、もし仕事があるなら、ここに一生住み続けたい、と心底思った。街そのものの魅力によってそのような気持ちを抱いたのは、それ以前にもそれ以後にもない。しかも、この気持ちを共有する人々は実にたくさんいたし、いまもいる。
パリはあらゆるところに古い歴史と文化が浸透している稀有な街である。しかも、その文化財に隣接して、あるいは文化財そのものの中に、ごく普通の人々の生活がある。たとえば、私の住んでいたヴァヴァン(モンパルナスの一角)の安ホテルの裏側に接する建物には、かつてモッジリアニが住んでいた。その向かいにはゴーガンがアトリエを構え、同じ通りには後期印象派からエコル・ドゥ・パリ派の画家たちが一時出入りした画塾があった。通りのはす向かいには、彼らの通った喫茶店があり、さらに10メートルほど離れたカフェは、ヘミングウェイに代表される「失われた世代」と呼ばれるアメリカの作家や金持青年たちが、日夜たむろしていた場所だった。その事実を伝える金属板が壁に埋め込まれていたり、カフェには彼らの写真やサインがあったりする。ところが、その金属板が張られた建物には、庶民が普通に暮らしており、カフェには今も昔もまったく変わらず当たり前に人々がコーヒーを飲みに来る。彼らは、このすごさを意識していないだろうか。日常のことだから、私のような外国人みたいな意識の仕方はもちろんしまい。しかし、そうしたパリの歴史と文化に、人々が誇りと強い愛着を持っていることは疑いない。パリに住むとそれがよく分かる。そして、そうしたことがすっかり分かってしまうと、パリの魅力に完全にやられてしまうのである。こんな街は、小都市なら他にいくつかあるかもしれないが、大都市では、おそらく、ローマとパリだけであろう。呼吸する空気に文化のアロマが入り込んでいる。そして、パリジャンは、このアロマを大事に守っているのである。洗濯物が干せなくても、壁面の浄化に金がかかっても、このアロマに較べればたいしたことではないのである。
オペラ座の裏正面。世界の超一流演奏家、バレリーナ、オペラ歌手が、ここから楽屋に入る。
内部の正面階段 (1997年)