手前にかかる橋が、ポン・デ・ザール、その向こうにかかる橋が、ポン・ヌフである。 (1997年)

 私が初めてパリの地を踏んだのは、21の時(1973年)で、その当時、ポン・デ・ザールは有料の歩行者専用橋であった。翻訳すると、この「芸術橋」は、当時、その名のとおり、シテ島のスケッチを描いて売る画家がいたり、楽器を奏する音楽家がいたり、手回しオルガンを回して小銭を稼ぐ大道芸人がいたり、と、パリを代表するような雰囲気のある橋だった。私はこの橋が大好きだった。何度もセーヌの河べりを散歩して、その姿を楽しみ、橋の上の、こちらを眺める人々をこちらも眺めて楽しんだ。しかし、一年半ほどの滞在中、私は一度も橋を渡らなかった。おそらく現在の値でいえば百円ほどの通行料が、いつも惜しかったのである。いまもこの橋を見るとそれを思い出し、当時のパリを思い出す。かすかに胸の痛みを覚えるが、それは得ることができなかったがゆえに美しく結晶化した心の財産のような気がしている。

  船から見上げたポン・デ・ザール (2010年)