革命以前、ここはルイ15世広場といわれていた。革命が勃発すると、ルイ15世広場には、中央に断頭台がしつらえられ、国王、王妃をはじめとする多数の王族、貴族、そして反革命分子、さらには革命の申し子とも言えるロベスピエールの首もはねられた。そのあまりに血なまぐさい歴史を払拭しようと、後年、名前を「調和(コンコルド)」に変えた、といわれている。
夕暮れのコンコルド広場 (1997年)
中央に立つのは、エジプトのスルタンから贈られたルクソール神殿のオベリスク。その向こうに見えるのが国民議会。さらにその後ろに見えるのは、ナポレオンの霊廟アンバリッドのドーム。
上の写真と反対側には、下の写真のホテル・クリニョンとフランス海軍省がある (2005年)
二つの建物は、ロワイヤル街を軸に左右対称になっている。右の方がフランス海軍省、左がホテル・クリニョンである。公の機関と私企業が混淆しているのがフランスらしい。このホテルは、警備が容易なためか、よく要人の宿泊に利用される。昭和天皇が国賓としてパリに滞在した折も、このホテルが使われた。 (2005年)