フォンテーヌブロー宮殿 (2010年)

 ヴェルサイユと並ぶパリ近郊の王の宮殿だが、劇場国家の代表ルイ14世とは縁が薄いことや、よりプライベイトな使われ方をしたことから、いくぶん質素に作られている。その分人出も少なく、落ち着いて見学できる。とはいっても、もちろん比較の問題で、国王の宮殿であるから大変ゴージャスであることに変わりがなく、ときどき団体の見学者がガイドに引率されて部屋を占拠してしまうのも同様である。

 フォンテーヌブローの主要部分はフランソワ1世が、イタリアから芸術家たちを呼び寄せて作ったことは、どのガイドブックにも記されている。イタリア・ルネッサンスの芸術がこうしてフランスに移植されたわけである。ただ、その頃はすでにルネッサンスの盛期を過ぎており、マニエリスムに移行する時代であった。リアルで晴朗で堂々たる絵画から屈託と不安をひそませた繊細な絵画へ移る時期で、ここから生まれたフォンテーヌブロー派は、もうルネッサンスではない。

   

 左は宮殿内のフォンテーヌブロー派(第1次)、右はルーブルにあるフォンテーヌブロー派(第2次)の代表作『ガブリエル・デストレとその妹』(作者未詳)

 

 同じ礼拝堂を2階と1階から撮ったもの  

 礼拝堂同様、大変豪華な図書館。ここにある地球儀はいつの時代のものかが気になった。

 

 もう一人フォンテーヌブロー宮殿といえば忘れてならない人物がいる。1814年、ナポレオンはここで退位文書に署名し、この正面階段のところで将兵たちに最後の演説をした。兵たちのすすり泣きが聞こえる中、島流しの地エルバ島に向かう馬車に乗った、とのことである。

 庭園側から見た宮殿。