ランス・ノートルダム大聖堂 Notre-Dame de Reims (2010年)
ゲルマン民族の南下によってローマ帝国が滅亡し、中世が始まるが、多くのゲルマン民族の中で、なぜフランク族が新しい中世世界を作る中心的役割を担えたのか、世界史の定説では、それは宗教のおかげ、つまりフランク王クローヴィスがカトリックに改宗したからである、とされている。それにしても、ゲルマン民族にはさまざまな部族がいた。最初に大規模な侵入を開始しローマ帝国の防衛に危機感をもたらしたのは、マルコマンニ族だった。彼らから帝国を守るため、五賢帝の最後のマルクス・アウレリウスは、前線を離れることができず、前線で没した。その後も次々に、ゲルマン人は南下・侵入を繰り返し、ローマは結局そのために滅びるが、その過程で、最初に隆盛をきわめたのは西ゴートだった。ローマにまで侵入し、略奪し、帝国からいわば立ち退き料を取って都を解放した後、北イタリアから南仏へ、南仏からスペインへと定住地を求めて移動した。続いて西ローマ帝国滅亡後イタリアを支配したのは東ゴート、と、4〜6世紀の歴史には、ヴァンダル、スエビ、アレマン、ブルグント、ランゴバルド、など、フランクと変わらぬ、あるいはより有力なゲルマン民族が登場してきたが、やがてみな消えていった。なぜ彼らには新しい世界を作る力がなかったのか、それは一つには時間的地理的幸運がなかったからだが、もう一つは宗教を同じくする、つまり価値観を同じくする、という行為に象徴される、支配者に必要な技術と器量に欠けていたからである。ありていにいえば、ローマカトリックに改宗することがどれほど重要か分かっていなかったのである。ゲルマン人の数は、彼らが荒らしまわったローマの人口よりもはるかに少ない。少数が多数を支配しようとする時、多数の最低限の欲求を満たさなければ、結局支配は失敗する。その最低限の欲求とは、おそらく古代から現代まで何も変わることなく、一つは安全、つまり命の心配をせずに暮らせること、もう一つは自分たちの作り上げた社会制度を根底から破壊しないこと、だろう。ローマの末期は権力が崩壊して安全を保障するものがなくなっていた。だから、フランク族が来てその武力によって安全が確保されるなら、それは、たとえ蛮族であろうが、次善の状況だったろう。しかもそのとき、彼らが自分たちの社会制度を認め、それに適応してくれるならば、彼らを支配者として、新しい権力者として、承認していい、というところに進むだろう。その保証が改宗だったのである。つまり、ゲルマン人が初めて主役に躍り出た中世は、クローヴィスの改宗によって誕生した、ということができる。
その改宗の儀式が執り行われたのが、このランス・ノートルダム大聖堂だった。以来、フランス国王は、ここで戴冠式を挙げるのが伝統となった。権力の座があるパリのノートルダムではなく、ランスのノートルダムでなくてはならない、この特別性が意味を持った。ことに、それは、王朝が変わって新しい王に権威が不足しているとき、最も重要な政治ショーとなった。ランスでの戴冠式を懸命に権威づけたのは、ユーグ・カペーに始まるカペー朝である。血統の上でカロリング朝との間に距離があった上に、広い所領を有していなかったカペーは、教会の力を借りながら、戴冠式を荘厳に演出し最大限に利用した。そして、後に、この権威付けの恩恵を受けることになるのが、百年戦争中イギリス王とフランス王位を争っていたヴァロワ家のシャルル7世であり、それを可能にして後にフランスの国民的英雄へと引き上げられるのがジャンヌ・ダルクだった。それまで王と認知されていなかったシャルル7世は、ジャンヌ・ダルクの力でランスの町を奪還し、ここで戴冠式を挙げることによって初めて正式なフランス国王と認められることになったからである。
ランス大聖堂は、教会美術を愛する人からは「微笑みの天使」の石像によって知られている。私が訪れたとき、聖堂を飾るいくつもの天使像の中で、明確に微笑んでいると認識できたのは、右の写真の像だけであった。他は修復中で覆いがかけられており、見ることができなかった。有名な「微笑みの天使」(鼻が欠けていない)は、たぶん、上の写真の天使と向かい合う、正面扉左にいると思われるが、確かめられなかった。
修復中の教会の入り口わきに、上の写真のように、何体かの像が無造作にむき出しのまま置かれていた。見ると、補修したてであるとしても、あまりに新しい。疑問を抱きつつ聖堂の中に入って、謎が解けた。いまは補修せず、レプリカを置いているのである。最新のコンピュータ技術によって、3次元測定がおこなわれ、そのデータに従ってコピーを作ることが容易になった。しかも、単なるコピーではなく、失われた部分を付加して(そこは人間の手による)、元の姿により近い復元が可能になっている。
下の右2体はレプリカに代えられたもの、左3体はオリジナルのままのもの。
ランス大聖堂と切っても切れない関係にあるジャンヌ・ダルク、彼女の像は教会の中にも外にもあった。
大聖堂は第2次世界大戦中、相当部分が爆撃などによって破壊された。下のステンドグラスはその修復の際、新たにはめ込まれたシャガールのステンドグラス。
ランスの町も今、メインストリートのトラム工事を中心に、改造の真っ最中で、あちこちフェンスだらけだった。下の写真は、工事が行われていない旧市街の一角を撮った。