16世紀のブロワ城 (2005年)

 9世紀、ブロワには、ブロワ伯の城砦があった。しかし、今では、そのわずかな痕跡と伯に由来する町の名が残っているにすぎない。

 ブロワ伯家は名門の大貴族であった。同じく大貴族のシャンパーニュ家と合流して一つになり、フランス王家にも娘を嫁がせて姻戚関係を有した。1498年にフランス国王に即位したルイ12世も、オルレアン家を通してそのブロワ伯家の血を引いている。

 ルイ12世は、強運の持ち主だった。王家本流のヴァロア本家の血がシャルル8世で絶えたために、父も祖父もなりえなかった国王の地位に上ることができた。ブロワで生まれ育った王は、即位と同時にここに宮廷を開いた。こうして、ブロワがフランス史の前面に登場する。

 ルイ12世と、続くフランソワ1世、アンリ2世、その王妃カトリーヌ・ドゥ・メディシスの時代は、フランス史において、最も面白い時代の一つである。先王シャルル8世のイタリア遠征によって、イタリアルネッサンスの洗礼を受けたフランスは、その文化的影響を急速に開花させゆく。また、この時代は、王家と大貴族とが、宗教戦争というかたちで、政争に明け暮れた時代でもあった。優雅さと血なまぐさが同居する華々しい時代だった。その主要な舞台となったのが、このブロワ城である。

 上は外側から見たブロワ城、下はその内庭である。

 名高い八角形の螺旋階段。 美術史建築史において有名なばかりでなく、暗殺の舞台となったことで広く知られている。

 ブロワ城内の居室の一つ

 ルイ12世の騎馬像(上)と紋章の動物、はりねずみ。

 こちらは、フランソワ1世の紋章の動物、竜(サラマンダー)。口から火を吐いている。