アンボワーズ城 (2005年)
アンボワーズは城下の古い商店街を歩くだけでも結構楽しい。ここにも、観光地につきもののおみやげ物屋が何件もあり、それらの店で地元にしかない美しい絵葉書を選ぶのも、それなりに楽しいが、それよりなにより、アンボワーズはパティスリー=パティシエ(菓子店=菓子職人)が充実していた。城までの短い通りに5、6件はあったと思う。私たちは、往路、一番うまそうな店にめぼしをつけ、帰路、そこでそれぞれ好みのケーキを買った。車に戻ると日本から持ってきたサーモスに、出発前にホテルで沸かしておいた熱湯(旅行用電気コンロ持参)が入っている。それで紅茶を入れ、スイスで買ったアーミーナイフでそれぞれのケーキを慎重に3分の1ずつに切り、つぎつぎに食べた。どれもとてもおいしかった。
フランスには、極端な言い方をすれば、一つとして同じ菓子はない。1軒1軒のパティシエが各自の個性で、同じ名の菓子でもまったく別様に作っているからである。どこどこのなになにはうまかったねー、食いしん坊の私たちには、小さな食が、けっこう重要な思い出になったりする。よほどうまいものでない限り、たいていは帰国して1月もすれば忘れてしまうが、感動的にうまかったものは、その地と密接にリンクして記憶に残る。(すごくまずかったものも残る) 今のところ、私の記憶のナンバーワンは、イタリアのパエストゥムの、遺跡の入口にあった店先で食べたレモンシャーベット。そのときの天気も店先の様子も、実によく憶えている。お菓子の方では、やはりフランスで、カンペールの市街で買ったギャレットが大変おいしかった。こちらの店も、細かな場所がどこだったかは憶えていないが、店の姿は10年後でも分かると思う。で、アンボワーズの菓子だが、カンペールを横綱とすれば、関脇といったところか。十両、前頭、小結とあるのだから、これで相当うまいと評価しているのである。
その商店街を抜けて城に向かって歩いてゆくと、まず最初に目に飛び込んでくるのは城の礼拝堂である。まるで城の天守閣のようにそびえているが(上の写真)、城内に入ると、普通の礼拝堂となる(下の写真)。別段、そうした効果を狙ったわけではないと思うが、この建築プランはきわめて独創的だと思う。
さて、このアンボワーズ城のことだが、フランスの百科事典の記述を簡単にまとめると、国王ルイ11世(在位1461-83)の妻シャルロット・ドゥ・サボワは、夫から居城としてアンボワーズを与えられた。シャルロットが、二人の娘とともに、当地に移り住んで数年後、夫婦には待望の男子が生まれ、後の国王シャルル8世となる。1483年、父の死によって国王に即位したシャルルは、まずアンボワーズ城の大改修に取り掛かる。1491年から6年間の工事を経て、城はほぼ現在の形に完成した、ということである。
しかし、アンボワーズ城というと、すぐに思い浮かぶのは、ルイでもシャルルでもなく、フランソワ1世であり、レオナルド・ダ・ヴィンチである。イタリア遠征に出かけたフランソワ1世は、イタリアルネッサンスに大いに感動して、不遇の身にあったレオナルドに、三顧の礼を尽くしてフランスに来てもらった。おかげで、フランスは、彼が、終生、未完成を理由に手許においていたモナリザを手に入れることができた。一方、レオナルドのほうも、おそらく、フランスに来てはじめて天才にふさわしい処遇を得て、満ちたりた晩年を送ることができたのではなかろうか。写真の礼拝堂には、彼の遺骸が納められ、いまや事実上、レオナルドのお墓、となっている。 (下は礼拝堂の床にはめ込まれたダビンチのレリーフ。この下に彼が葬られていることを示す)
国王フランスソワ1世とダヴィンチの友情は、例えば次のようなアングルの絵になるほど、フランスでは伝説化している。実際、王は、ダヴィンチに城から少し離れたところに屋敷を与え、そこへは、まるで秘密の愛人に会いに行くみたいだが、地下通路で通えるようになっていた。この地下道への入口は、いまも城内に残っており、重要な観光ポイントの一つとなっている。もっとも、絵にあるように、臨終に際してダヴィンチをかき抱いたかどうかは怪しい。けれども、その亡骸が、上述のように、アンボワーズ城の象徴ともいえるサンテュベール礼拝堂に葬られたことは、まぎれもない事実である。死してなお、レオナルドは厚く遇されたのである。
礼拝堂の真向かいには王が住まう城館がある
城からロワール河を眺める。いい町だなー、古くて、美しくて、ちょっと鄙びていて、お菓子もうまいし、と、あらためて思った。