ラ・ボールの中心街 (2005年)  宝飾店と高級ブランドの店がたくさんあることがリゾートを象徴している。

 ラ・ボールは、ブルターニュで最も有名な夏のリゾート地である。海岸に並行して走る道にはマンションや緑に囲まれた邸宅が建ち並んでいるが、その多くは別荘で、この季節(3月)は住人がわずかしかいない。ブルターニュでも、ここは都会の雰囲気である。

 ラ・ボールの街道沿いの住宅。この裏側に一戸建ての高級別荘街がある。

 高級別荘の代表格。実にユニークな設計である。

 ラ・ボールの砂浜。夏にはパラソルとリクライニングベッドが見渡す限り並ぶのであろう。

 1997年8月15日、私たちはイタリアのピサで、観光を終えた後、まったくホテルが取れず、車でピサからリボルノへ、リボルノからセシナへと、ただただホテルを求めてさまよったことがあった。しかし、この日は、聖母マリアの昇天祭で、日本のお盆のように帰省のさなかだったため、どのホテルも一杯で、十数件当たったが、結局全部宿泊を断られた。これまで、こんなにホテルを探したことはなかった。やむなく、私たちは、諦めた時点で最も近くにあった海水浴場の駐車場に車を入れ、車中泊することにした。すでに夜はとっぷりと暮れ、日付が変わっていた。

 窮屈な姿勢でようやく眠りに入ったと思ったら、早朝、ものすごいブルドーザーの音で起こされた。見るとローラーのような機械で、砂浜のごみを除去しているところであった。その作業が終えると、砂浜は別の機械できれいに整地され、続いて次々に簡易ベッドが並べられ、最後にパラソルが立てられた。それはおそらく2、3時間の出来事だったが、私にはまたたくまに作業が進み、完了したように思われた。数時間前と砂浜の風景は一変していた。すごいものである。これを毎朝やっているのか、と思ったら、日本の海水浴場はなんて非文化的なんだろう、とため息が出た。ヨーロッパのリゾートの伝統に、ただただ脱帽だった。下がその時撮影した写真である。

 さて、その日、ホテルのとれなかった私たちは、風呂はおろか顔さえ洗えない、と、困っていた。ところが、この作業を眺めていたら、ふと、砂浜の奥に脱衣場とコインシャワーが並んでいるのに気がついた。考えてみれば当然のことかもしれないが、この発見はうれしかった。さっそく、タオルを持ち、下着を持ち、ついでに歯ブラシまで持って、交代でシャワーを浴びに出かけた。少々寝不足ではあったが、「ヨーロッパリゾート文化」のおかげで、快適な一日の始まりとなった。

 ラ・ボールの3月の砂浜には、まだリゾート客はおらず、犬を散歩させる地元の人や乗馬を楽しむ人くらいしか見かけない。しかし、夏には、おそらくイタリアと同じような光景が展開するのだろう。

 東西に弓状になったラ・ボールの海岸の、中央部の砂浜をカットして、いわば東の弦の結び目からもう西の弦の結び目を見た景色。

 宿の近くのレストランで海のメニューを注文した。これがその「前菜」である。私の食べる料理は、後学のために特別奮発する場合を除いて、だいたい三千円くらいまでと決めてある。一般的なフランスのレストランで三千円くらいまでといえば、中以下、しばしば下から二つ目か最も安いメニューとなる。(値段で食事の組み立てが決まっている。3000円メニュー、4000円メニュー・・・といった具合である) この日は前菜に惹かれて最も安いメニューにしたのだが、まさかこんなものが出てくるとは思わなかった。この旅行の間で一番感激した。二つのカニは、みそが絶妙だった。手長えびのみそもうまかったが、カニは群を抜いてうまかった。身は特製のソースにつけて食べるが、そのソースがやはりカニみそか雲丹のような香りで大変うまかった。皿の左上に、小さなタニシのような貝がある。これも食べられるのか、「どうやって食べるの?」ときいたら、まち針の大きなもののようなピン(写真右上)を示して、これでこう食べるのだと実演してくれた。この貝も、実においしかった。この日メインディッシュが何だったか全然憶えていない。

 フランス人の食事はたいてい8時過ぎである。私たちは出発が早いので、いつもレストランが開店する7時半頃、店に入る。一番乗りのことが多く、アントレを食べ終えると、ようやく店内はにぎやかになる。