グレヴィルは、コタンタン半島の突端に向かうとき、偶然通りかかった。村に入ったとたん、空気が変わったように感じた。古い教会に通じる道も立ち木も、隅々まで手入れが行き届き、清潔感と威厳とに満ちていた。教会前にはロータリーがあって、その中央にブロンズ像がある。石版を読んでみると、ここは『落穂拾い』や『晩鐘』で有名なミレーの生地であった。なるほど、こういう村で生まれたのか、村の雰囲気は絵を見事に解説していた。
道にはちり一つ落ちていない。
ミレーのブロンズ像
帰国後、安井曽太郎を特集したある番組を見ていたときのことである。安井は、パリに留学中、当初アカデミックな画塾でデッサンの修行をするのだが、3年目あたりから、それをやめて、ミレーに傾倒し始める。そして、ミレーの画風を真似てある教会の絵を描く。さて、そのとき、番組で「この絵のもとになったのが〜」、と、示されたタブローを見たら、それはまさに写真そのままのグレヴィルの教会であった。たわいないことだが、私にはこの偶然がちょっと感動的であった。たくさんの偶然が重なって小さな幸せが舞い込んだような気分がした。
この絵を見ると、ミレーが生きていた頃、教会は農場に接していたのかもしれない。墓地の存在は今も変わらないが、石垣のたもとには草を食んでいる羊がおり、左には羊飼いがいる。あるいはミレーがモチーフを効果的に表現するために、それらのものを合成している、と考える方が自然なのだろうか ・・・。 写真と比較しながら、私には、いまも百数十年前も変わらぬ教会の塔の上の風見鶏が印象的であった。もちろん、教会も後ろにある数軒の家も、昔そのままである。しかし、よく注意しなければ見落としてしまう変わらぬ小さな細部こそ、この村に流れる時間を象徴しているように感じた。時の永遠と無常とを思ったら、ふと、ミラボー橋の一節、「時が流れ、私は残る・・・」が浮かんだ。いまはもう、ミレーの描いた教会は、新しい絵画の主張など少しも感じさせず、静かにただそこにあったものを虚心に写し取ったかのようである。そのときから、すべてが変わり、何も変わっていない。私には、この絵から、たんたんと過ぎゆく「時間」が分泌するように伝わってくる気がする。