ボルドーの月の港とブルス広場 (2010年)

 ボルドーといえばワインだろう。しかし、私はアルコールに弱い。酒好きだったらフランス旅行はどれほど楽しいことか、と思うと残念であるが、飲めないのだから、仕方がない。ただ、そのおかげで食費は安くついているに違いない。

 さて、ボルドーの月の港は世界遺産に登録されている。ガロンヌ河沿いを上の写真のブルス広場へと上ってゆくと、建物の高さと様式と色調がそろっていて、とても美しく、確かに世界遺産の地だと思わせてくれる。この港からは、おいしいワインがたくさん積みだされ、その富によって素敵な街並みが生まれたんだなー、と考えたいところだが、事実はそうではない。莫大な利益を生みだしたのは、実はワイン貿易以上に奴隷貿易であり、ボルドーはナントに続くフランス奴隷貿易の拠点だった。ボルドーからは綿布や銃やガラスの装飾品などアフリカ人が好むものが船積みされ、それをアフリカ西岸で黒人奴隷と交換し(交易相手はおもに奴隷狩りなどによって奴隷を集める同じアフリカ人)、大西洋を渡って西インド諸島やアメリカでその奴隷を売って砂糖や綿花を買い、ボルドーに持ち帰る。いわゆる、この三角貿易によって、ボルドーは巨万の富を得た。イギリスのリバプールほどでないにしろ、罪深い港なのである。

 

 旧市街に入る城門とボルドーを代表するサン・タンドレ大聖堂

 

 ボルドーの中心、グランド・テアートル(オペラ座)とその前の広場

 ボルドーのグランド・テアートルの一角を占めるキャフェは、オペラ座の一部であるから、当然大変ゴージャスに作られている。にもかかわらず、店先に掲示してあるカルト(品書き)を見ると、全然高くない。しかも空いている。歩きどおしですっかり疲れた妻と私は、中を覗き込んでまるで宮殿のように美麗であるのに喜びつつ、入口近くの一番いいテーブルについた。私はいつもの通り注文はコーヒーと決まっているので品書きは必要ないが、妻はチョコレートパフェとかナントカ・パフェとか、要するにホイップクリームがいっぱい添えられたアイスクリーム+果物+αが大好きで、フランスに来て以来それが食べたくともなかなか見つからないので、この日も必死で、ろくに読めもしない品書きを探している。多分、それはシャンティイーChantilly という、と教えてあるので、その綴りを探していたが、やはりなかった。しかし、どうもその日は、諦めきれないらしく、横暴にも、メニューになくてもあるかもしれないから聞いて、と決然と言い放って頑として譲らない。仕方がないので、しぶしぶギャルソンにそのようなものがないか尋ねた。すると、ない、が、アイスクリームにホイップクリームなら添えることができる、という。喜んだ妻と安堵した私は、ラズベリーのシャーベットにホイップクリームを添えて出してもらった。それがこれである。アイスクリーとは全く別の、大きめのコップを器にして、たっぷりホイップクリームを載せている。

 さて、注文したものはメニューになかったから、いくらなのか気になって、レシートを見た。すると、シャーベットだけの値段でしかない。妻と二人顔を見合わせて、えー、そうなの ?!。 と、しかし、そのとき、私は、あーヨーロッパっていうのはそういうところなんだ、とちょっと合点したような気になった。客はいろいろわがままを言っていいのである。わがままに応えてくれたら、その分チップを置いてやればいい。われわれにとって、チップは、いつもいくらおけばいいのかまるで分らぬ面倒なものでしかなかったが、この時初めてチップがありがたかった。また、チップがあるおかげでいろいろ注文をつけることができる、と分かった。気に入らなければ置かない、うれしいサービスならたくさん置く、この決断もわれわれは苦手だが(ほとんど形式的サービスだから・・・)、それなりに意味があるのである。

 夕日が当たって美しいサン・ミシェル教会。もう一つのボルドーを代表する教会である。