アキテーヌは、百年戦争当時、イギリス領だった。とはいっても、封建制の時代は、主従関係が複雑で、諸侯はイギリス王家についたり、フランス王家についたり、戦況によってしばしば去就を変えた。その上面倒なことに、イギリス王はフランス王の下にあり、臣従の礼を払わねばならない。イギリス王家や、また実力の上ではフランス王家に引けを取らない各地に割拠する有力諸侯も、ことフランスの地においては、いわば土地の最終的「安堵権」はフランス王にあったから、戦においてどう身を処すかは、じつに頭の痛い問題であったろう。
ドルドーニュ川沿に割拠する貴族たちは、最もこの問題に悩まされた者たちだっただろう。というのも、ドルドーニュ川は、両陣営の勢力争いの最前線であったからである。下の写真の中世の村ベイナックとその丘の上にあるカズナック、併せてベイナック・エ・カズナックは、1360年はイギリス王家、1368年はフランス王家、の側についている。
ベイナックから見上げるカズナック (2005年)
ベイナックの村の丘の上に登ると、このカズナックがある。急峻な坂を避けて、背後から大回りしてアプローチした。13〜14世紀の建設。
城の背面の城壁。向こうに第一の門が見える。
城の城壁の上から下を見た。だが、ベイナックの村は見えなかった。おそらく城の中の階上の窓からでなければ見えないのだろう。