雇用と格差について考える

 

 20世紀末のバブル崩壊以来、歴代の政権は、低成長率とデフレ傾向から抜け出せない日本経済を活性化させるため、効率化を優先課題として、官民をあげてコスト削減と生産性の向上に努めてきました。より小さな政府こそ、経済活動を活発にして国際競争力を回復させ、景気を上向かせる道だと、また、小さな政府こそ限定された予算を効率的に使うには望ましい、と考え、民営化と規制緩和を推進しました。こうして、電電公社、郵便局、国鉄、道路公団は、つぎつぎに民営化され、親方日の丸の赤字体質から脱却すると同時に、それを利用する国民にとっても、より良いサービスが受けられる会社に変わりました。

しかし、効率化・規制緩和の流れは国有企業や金融機関ばかりでなく、労働市場にもおよびました。1986年に制定された労働者派遣法は、たびかさなる改正によって、いまやほとんどの業種で派遣が認められるようになり、雇用責任をほとんど負わなくともよい安価で便利な大量の労働者が生まれました。いま労働者の3人に1人が非正規雇用です。

 この自由化は、企業に人件費削減による効率化をもたらし、多くの企業の国際競争力や収益の向上に、ひいては景気の上昇にある程度貢献しました。しかし、それは同時に、非正社員のかつてない増大と正社員の過剰労働をももたらしました。格差が拡大し、低所得のために、結婚できない独身男性、子供を持てない夫婦、年金が払えない労働者など、未来に多大な影響を及ぼす問題を生み、さらには非正社員が雇用の調整弁として大手を振って利用される中で、従来の雇用に対する厳しい責任意識にも影響が及んでいます。

 競争社会では、当然、勝ち組と負け組みが生まれます。その格差が大きいほど、競争には熱が入ることは理の当然です。きびしい国際競争にさらされている日本企業にとって、こうして格差を容認し、その結果効率を上げ、生産性を上げ、競争力を維持することは、重要なことにちがいありません。また日本経済に活力がなければ、国民生活にも明るい展望が見えず、将来が不安で暗いものとなることも事実です。しかし、それによって社会は、全体として、より多くの利を得ることができるのか、格差の拡大はいま何をもたらしているのか、社会にとって効率とは何か、税とは何か、富の再配分とは何か、働くとはどういうことか、会社は誰のものか、何のためにあるのか、真に公正な競争とは何か、これら、今まさに政治が直面している諸問題について、様々な角度から共に考えてみたいと思います。われわれにとって望ましい社会とは何でしょうか、理想の国家とは何でしょうか。