メール・ドゥ・グラスの奥で、斜陽に映えるグランド・ジョラス。この美しい景色がこの日の天国。まもなく地獄の下山となる。(9-シャモニ参照

 シャモニの谷をはさんで見るグランドジョラス北壁とモン・ブランへと続く針峰群(上の写真の二日後に撮影)

 マッターホルン北壁、アイガー北壁、グランド・ジョラス北壁、世界三大北壁といわれているものである。この北壁を征服することは、長く登山家の夢であった。しかし、技術と道具の飛躍的な進歩によって、近年、それは、かつてほど至難の業ではなくなった。そこで登山家は、次に、より条件の悪い時期に登頂を試みるという冒険を始める。厳冬期の登頂である。この登頂において、最後まで抵抗した山が、グランド・ジョラスであった。ただし、もう20年以上も前の話になる。

 真冬のグランド・ジョラス北壁に最初に登った小西政継の本を読むと、いかに過酷な登攀だったかがよく分かる。数日かけて登るのだが、まず、満足に体を休ませることができない。夜も、谷のほうを向き、体を屈曲させ、ロープでぶら下がるような形でしか寝ることができない。適当な岩棚がほとんどないのである。しかも、シベリアの荒野を吹くような猛烈に冷たい風が吹きつける。防寒服で完全武装していても、厳しい自然は容赦せず、その防備をいとも簡単に崩してしまう。夜、あまりの寒さに眠れないばかりか、日中の登攀によってかいた汗が、凍結し、小西政継はじめ4人のパーティのうちの3人が、手足のほとんどの指全体ないしは一部を、凍傷で失っている。この登頂において、まったく無傷で戻ることができたのは、植村直巳ただ一人であった。体質と同時に、彼の抜群の体力と技術がそれを可能にさせたのである。