ヴェルサイユ宮殿正面入口 (2005年)

 ヴェルサイユ宮殿に行くのに最も便利なのは、途中で地下鉄から郊外電車になるRERに乗ること、とガイドプックにあった。私はこれまで三度ヴェルサイユに行ったことがあるが、三度ともモンパルナス駅からフランス国鉄に乗り、ヴェルサイユ駅についてから2kmほど歩いた。30年前の話である。この間に、宮殿近くに駅ができたわけである。便利になって、それにより、私の印象では、人も3倍、いや5倍に増えた。観光バスでわっと来てさっと帰る人々の、ひとときの混雑を除けば、かつて、ヴェルサイユは閑散としていた。入場するのに並んだのは初めてのことである。しかも、1時間も。

 無論、電車で近くまで行けるのなら、それにこしたことはない。私たちは、地下鉄でRERへの乗り換え駅に行き、ヴェルサイユまでの往復切符を買うため、窓口で10人ほどの行列に並んだ。

 窓口から少しはなれたところに自動券売機があった。そちらは空いていて誰も並んでいない。列の最後尾についた私たちに、通りかかった初老のフランス人が、親切にも、それを使ったらいいと教えてくれ、機械の前まで案内してくれた。しかし、行く先や乗換えなど多岐にわたっていて、簡単に使えるものではなかった。掲示板を見つめつつ、買い方を理解しようとしたら、一呼吸おいて、そのフランス人が、私が買ってあげる、と、行く先、人数、片道か往復かを尋ね、驚いたことに自分のクレジットカードをいれて切符を買った。非常に親切な人だ、と思ったが、その切符代がちょっとおかしかった。しかし、切符を買うときに代金は表示されるし、目の前でそのボタンを押したわけで、高い気はしたが、こちらはユーロの感覚になれておらず、ピンとこない。しかも、3人分の往復切符だったから、ますます感覚が狂っており、どこか釈然としなかったが、まだ自分がどういう状況にあるか気づかなかった。気づいたのは、その代金分のお金が手許になかったおかげである。私は、普段、もっぱらクレジットカードを使い、現金をわずかしか持たない。そのときも、カードで購入するつもりだったため1万円程度しか金がなかった。困惑した私は、相手に財布を見せ、率直に代金がないことを告げて、切符を窓口で払い戻すから一緒に来てくれ、といった。すると、その初老のフランス人は、肩をすくめて、逃げるように改札に向かうと、われわれの3枚の切符を持ったまま、改札から出て行ってしまったのである。そのとき、はじめて、その男が詐欺師であることに気づいた。しかし、今もってそのトリックが分からない。実にたいしたもの、というか、プロだと思う。

 私は現金を持っていたら、たぶん払っていただろうと思う。そのために、あとでひどく嫌な思いをし、さんざん後悔もしただろう。しかしながら、私は、これまでに、それとは逆の体験も何度もしている。何人もの親切な、フランス人をはじめとする西欧人に出会った。日本人は概して親切だか、ここまで親切にはしてくれない、という例にもいくどか出会った。今度の旅行でも、ノルマンディーの田舎道で工事による道路閉鎖にあい、途方に暮れていたとき、もと来た道を戻る前に、ともかく尋ねてみようと声をかけた行きずりの青年は、途中まで私に言葉で道順を説明していたが、当方が正しく道筋を見つけられないだろう、と判断するや、説明を中断して、脇のバイクのエンジンをかけると、後に従うように指示して、10km以上も農場や森の道を抜けて高速道路まで案内してくれた。1km程度ならまれにありうることかもしれない。でも、10km以上はありえないことではないだろうか。そういう無償の親切を経験すると、「人は泥棒だと思え」という気持ちは起きない。もし詐欺にあったら、これまでの幸せな旅の税金だと考えるべきなのではなかろうか、とさえ思う。人の親切を疑うのは、自らが下品になるようで嫌なものである。しかし、かといって、まったく用心しないのも愚かしい。ともあれ、少しでも不愉快な目に遭うことを避けるため、情報は事前に十分に、とくに交通費はよく調べておくべきである、というのが今度の教訓である。それをしておけば、本当の親切か否かは、すぐに判断できた。

  

                巨匠ベルニーニによるルイ14世の彫像と王の礼拝堂

 庭園側から見たベルサイユ宮殿

 庭園中央の噴水の先には大運河が延びる。そこではボート遊びもできる。

 プチ・トリアノンへの並木道。緑の季節なら、もっと美しかろう。

 グラン・トリアノン

 マリー・アントワネットのために作られたオーストリアの田舎家

 夕方の大噴水

 昼頃ヴェルサイユ宮殿に入り、内部を見た後、庭園を歩き、トリアノンを訪れていたら、閉園時間となった。まだ空は明るいが、噴水はすでに止められていた。

 バロック期彫刻の傑作とされる、アポロンの噴水。

 宮殿の近くでレストランを探していたら、徐々に日が暮れてきた。

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 ヴェルサイユのレストランで食事を済ませ、さあ帰途につこうと思ったら、何と、RERの運転が終わっていた。9時頃だと思う。ヴェルサイユは、観光地であると同時に東京における鎌倉のような住宅地だから、日本の常識では考えられないことである。仕方なくわれわれは、フランス国鉄駅まで歩き、モンパルナス行きの列車に乗ることにした。ところが、そこでもまたトラブルに遭遇した。

 駅の窓口は終了しており、自動券売機しか動いていない。ただ、今度は、行き先がパリの終着駅だから機械でも買いやすいだろう、と思ったら、別の困難があった。コインしか使えないのである。私たちには、3人分の小銭がなかった。売店も閉まっている。窓口係でない運行の(?)駅員に事情を話したが、できないと拒絶された。思い余って通りすがりの人に両替をお願いしてみたが、崩せる人はいなかった。結局、そのとき改札のほうやってにきた駅員に訴えるしか方法がなくなったので、そうしたら、相手も困って、このまま入って、乗って、着いてからなんとかしろ、という返事となった。それで、ともかく、列車に乗り、モンパルナス駅に着いた。しかし、ページのはじめで述べたフランスの詐欺師はプロだったが、フランス国鉄職員はプロとはいいがたかった。そもそも、おしなべてフランスの職業人は責任感というか職業倫理が低い。モンパルナスに着いてから、出口の前で、困惑し、呆然とした。無責任じゃないか、精算所がないよ、と、またしても途方に暮れたのである。ホームは何本もあり、とても広いのに、誰も職員がいない。しかも、出口の自動改札は、無賃乗車を防ぐために、やたら扉が高く作られていて、とても乗り越えられない。万事休した。困り果てて、意味がないとは思いつつ、往復買ったRERの復路用切符を入れてみた。すると、あれー!、なんだ?、扉が開いた。RER(首都圏高速交通網 Reseau Expresse Regional) はパリの地下鉄+郊外電車じゃなくて、フランス国鉄だったのか??? 

 帰国後調べてみると、RERのC線とD線は、フランス国鉄が管理運営していることが分かった。最初から最後まで、疲れた一日だった。