モレ・シュル・ロワンの教会と橋 (2010年)

  モレ・シュル・ロワンは、セーヌ河とロワン川が合流する交通の要所に作られた、歴史のあるたいへん美しい町である。また、印象派の画家シスレーの町でもある。

 パリとフォンテーヌブローを往復する最もリーズナブルな方法は、モビリス Mobilis という、イル・ドゥ・フランス県内の周遊券を買うことである。距離によってゾーンが決められていて、フォンテーヌブローは最も外周のゾーンとなる。これを買えば、地下鉄も国鉄もバスも、ゾーン内の公共交通はすべてフリーパスとなり、乗り降りも自由である。地下鉄や国鉄の窓口で売っており、自動販売機でも買うことができる。さて、モビリスを手に入れて路線図を見、フォンテーヌブローを探したら、その二つか三つ先にモレ・シュル・ロワンという駅がないか見てほしい。見つけたら、ついでにそこにも行ってみましょう。まだ日本のガイドブックにはあまり載っていないすばらしい町です。

 私は、3月のある晴れた朝、まずモレ・シュル・ロワンに行き、町をゆっくり見てから、ブラスリーで昼食を食べ、それからフォンテーヌブローに向かった。当初の予定では、この日のメインはフォンテーヌブローだった。しかし、モレ・シュル・ロワンがあまりに美しかったために、フォンテーヌブローにはほとんど心を動かされなかった。

 町に入るための城門(国鉄を利用した場合、この城門から入る。駅から城門までは徒歩約十数分の距離。けっこうある)

  

 町にはところどころに優に二、三百年は経っているだろうと思われる建物が残されている

 ロワン川に架かる橋の中ほどには、水車小屋があり今も回っている

 国鉄側とは反対の方向にある橋は、町へのもう一つ入り口になっている。かつて町は城壁で囲まれていた。

  

 国鉄側城門の前にインフォメーションがあり、その角にシスレーの記念碑が立てられている。

 印象派の画家たちの生涯は、概して貧困との闘いであった。もちろん、モネやルノワールのように、長命を授かって晩年名声を得、財をなした画家もいた。またセザンヌやカイユボットのように親の財産で安楽に暮せた画家もいた。しかし、そのほか多くの画家は生前名声を得られず、貧窮のうちに世を去った。ゴッホもゴーギャンも貧乏だった。子だくさんのピサロはいつも生活に窮していた。モネさえも、一時期自殺を企てるほど貧乏だった。そして、「典型的な印象派の画家」(ピサロの言)、シスレーもである。彼は臨終に際して自分の苦境を率直にモネに伝え、一足早く世上の評価を得ていた彼に、後事を託している。そのシスレーが晩年の10年間を暮したのが(1889-1899、50〜60歳)モレ・シュル・ロワンである。教会を中心に川と橋を描き、ことにモネの連作にならっていく枚も教会を描いている。(左上が現在の教会の写真)