バルザックの小説に『ランジェ公爵夫人』というのがある。ある優れた誇り高い男が、ランジェ公爵夫人に情熱を傾けるが、彼女は彼の真価が分からず、終始思わせぶりな態度をとる。いつも塗炭の苦しみをなめる彼は、ついに思い余ってひととき彼女を誘拐し、ただ自分の至誠を語った後に彼女を解放して、忽然と社交界から姿を消す。そのとき初めて、彼女は、自分のなくしたものの重さを知り、絶望する。もはや公爵夫人にとって、社交界のすべてが空しく思われる。彼女は、取り戻すことができなくなってはじめて真の恋を知り、その苦しみから逃れるために修道院に入った。その後、事実を知った彼は・・・・・・。と、話をみな要約するのはやめておく。大変面白い小説である。興味を感じた方は、ぜひバルザックを読んでいただきたい。

 さて、『ランジェ公爵夫人』とランジェ城の「ランジェ Langeais」は、まったく同じ綴りであるが、何の関係もない。バルザックの小説はモデルに従って書かれたのではなく、完全なフィクションだからである。しかし、私は、疑いなくランジェ城を知っていたであろうバルザックが、あえて彼女に「ランジェ公爵夫人」という名をつけたからには、彼の中に、城と夫人に共通する何か本質的なものがあったからだろうと考えている。その疑問を抱いて、城を見、城を歩いた。で、その結果、それは何、と訊かれても、私には、結局、なにも答えられない。それでも、ただ、なんとなく、私は、ははーん、という気になった。そこのところが大事である。

  最後に、歴史のお勉強だが、ランジェの城は、15世紀、ルイ11世によって廃墟となっていた城砦跡に建設されたそうである。天守だけは10世紀のものが残っているらしい。この城の歴史で重要なのは、1491年、ここでシャルル8世とアンヌ・ドゥ・ブルターニュの婚礼が行われたことである。これによって、ついにブルターニュ公国がフランスのものとなった。